バブル真っ只中の昭和50年代後半に過ごした街|六本木の魅力を振り返る回想録

バブル真っ只中の昭和50年代後半に過ごした街|六本木の魅力を振り返る回想録

バブル最盛期の昭和50年代、六本木飯倉片町交差点付近の観光サービス企業の仕事に従事していました。
向かいの通り200mほど離れたところにソ連大使館(現ロシア大使館)、真向いにスパイダースの事務所、同じビル内に新日本プロレスがありました。
ソ連大使館前の通りには、連日のように通り過ぎる右翼団体のトラックから、軍艦マーチが鳴り響いていました。
普段はあまり見かけることはありませんが、終戦記念日など特別な日が近づくと北方領土返還の抗議活動が多くなるようです。
当時はまだソヴィエト連邦の時代でしたが、数年後にはソヴィエト連邦が崩壊する歴史的な日を迎えます。
これで東西冷戦が終わったかに思えましたが、プーチン政権誕生によって再び対立が始まり、米露はウクライナ紛争から核戦争へ発展しかねない様相です。

六本木で思い出されるのはアントニオ猪木さんです。
闘病生活の末10月1日に永眠され、昭和の星がまたひとつ消えた想いです。
アミロイド・タンパクが全身に蓄積する病気ということでしたが、アミロイドは脳に蓄積されてアルツハイマーを引き起こすものと思っていました。
生前の故人との接点はありませんでしたが、同じビルに事務所があったこともあり新日本プロレスのレスラーの顔を見る機会も多く、沢山のレスラーが頻繁に出入りしていたのを記憶しています。
近くには猪木さんのお店アントン・リブというリブ・ステーキのレストランがあり、仲間と食事にいったこともあります。
1970年代から80年代は猪木さんの全盛期で数々の名勝負が演じられました。
特に異種格闘技戦、1976年のモハメド・アリ戦、1980年のウィーリー・ウィリアムズ戦は印象深い試合でした。

六本木は芸能人のたまり場
六本木で仕事をしていたときは、通リの向かい側にスパイダースに事務所がありました。
1階の喫茶店では、ムッシュ・カマヤツが一人でコーヒーを飲んでいる姿を度々目にしています。
近くの雀荘でスパイダースのメンバーに遭遇、井上順の愛妻エミちゃんがいることもありました。
夕暮れには毎日のように小森のおばちゃまが飯倉付近でペットのワンちゃんの散歩。

六本木の再開発
六本木六丁目地区は、南側に約17メートルの高低差があり、幅4メートルほどの道路を挟んで、木造家屋や小規模集合住宅が密集していました。
1986年11月、再開発誘導地区の指定を受け、森ビルとテレビ朝日が再開発の呼びかけを開始し、地区内の権利者約500件によって再開発準備組合が設立されました。
1995年4月には第一種市街地再開発事業として都市計画が決定され、1998年に再開発組合が設立、15年経過した2000年にようやく着工することができました。
六本木ヒルズ森タワーは2003年に完成した高さ238m、54階建ての高層オフィスビルで、複合商業施設六本木ヒルズのシンボルでもある。
屋上には、オープンエア展望台としては、都心の夜景を一望できる海抜270mのスカイデッキがある。
このスカイデッキは東京タワーの特別展望台より高い位置にある。
2003年4月2日、グランドオープンを控えた六本木ヒルズに、ロシア連邦初代大統領ボリス・エリツィンが視察。
2005年5月20日、ロシア連邦大統領ウラジミール・プーチンが来日、六本木ヒルズ展望台を訪れ開催中の日ロ修好150周年を記念した友好アート展を見学した。
昭和の時代には落ち着きのある街でもあったが、再開発後は高層ビルが立ち並び様変わりしてしまった。

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